| 在日の記憶を継承する |
金 稔万(ドキュメンタリー作家) |
『済州島をはじめて訪れたのは20数年前のことだ。最初に私の顔を見たハルマン(祖母)は私の顔を撫でながら嘆いた。私が日本語しか理解できないことを知ったからだ。「アイゴー。この孫はチョッパリになってしまった。」と。それはウリマル(朝鮮語)が理解できない私にもわかった。私は申し訳なく、情けなかった。できたら、その場から逃げたかった。私は済州島を訪れるべきではなかったのか?それでも、ハルマンは豚の耳を丸太のまな板で刻み、ハンラサン(焼酎)を注いだ。私は生まれて初めて、豚の耳が食べられる物だと知った。三多の島と三無の島。当時、二十歳そこそこの半チョッパリの私に理解できたのは、ここまでの事である。(中略)私にとっての最初の済州島の記憶は以上である。』(『龍王宮の記憶』(仮)製作メモより)「在日」の記憶の断絶と継承する意味を「映像」を「記録」することから、そしてその「映像」を観ることにより「記憶」を再生し共有することから共に考えていきたいと思います。 |
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