| 福沢諭吉と田中正造―近代日本の光と影(1)― |
安川 寿之輔(不戦兵士・市民の会、社会思想史) |
『福沢諭吉のアジア認識』『福沢諭吉と丸山眞男』『福沢の戦争論と天皇制論』(高文研) の3著でぼくは、戦後日本の定説的な福沢像を、丸山眞男がつくりあげた壮大な「丸山諭吉」神話として、きびしく批判した(丸山門下生からも正面切った反論なし)。今回は、足尾銅山鉱毒問題で天皇直訴事件を敢行した興味ある人物と対照することによって、福沢の人物像に、別の角度から光をあてることにした。福沢より6歳年少の田中は、同じ時代の近代日本の社会を60年間も併行して生きた。しかも二人があまりにも対照的な思想と生き方をしている事実に気づいて、ぼくは二人の人生の対照と対比に夢中になった。 二人の@人間観では、被差別部落民観を手がかりにして、有名な「天は人の上に人を造らず・・・」の句で人間平等論者と誤解されている福沢こそが、明治日本の社会に「人の上」の人の天皇・貴族と「人の下」の人の各種被差別民を創出した思想家であることを解明する。以下、二人の思想の分岐点になったA自由民権運動やB教育勅語に対する対照的な考え、何よりも足尾銅山鉱毒事件に対する二人の正反対の思想と行動を考察する。 |
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